2018年8月31日金曜日

自民・公明・共産・情報公開(渡辺大三議員)が反対し、副市長人事案は否決

採決の際に過半数を超える13人が退席し、会議が不成立となった8月30日の本会議場
 小金井市議会平成30年第3回定例会(9月議会)が30日に開会された。定例会冒頭に本会議即決で提案されていた議案第65号「副市長の選任に関し同意を求めることについて」は、この日の本会議で採決が諮られたが、自由民主党党・信頼の小金井(議長は通常は採決に加わらないため4)、小金井市議会公明党(4)、日本共産党小金井市議団(4)、情報公開こがねい・渡辺大三議員(1)の合計13人が議場を退席したため、定足数を欠く状況となり議長は小金井市議会会議規則に基づき休憩を宣告し、その後会議時間の17時を超えたため流会となった。この時のYouTubeは・・
https://www.youtube.com/watch?v=l6Q50swrdZ8  

翌31日に再開された本会議で採決が行われた結果
反対13人=30日に退席した議員
賛成10人=こがおも・白井(1)、生活者ネット・田頭(1)、市民カエル・片山(1)、緑・つながる・坂井(1)、市民会議・斎藤(1)、改革連合・篠原(1)、こがあす・沖浦(1)、みらい・鈴木、村山、岸田(3)
で否決と決定した。
この時の動画は以下のURLの1分20秒近辺をご参照いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=l6Q50swrdZ8

 本会議が過半数を超える退席により休憩→流会となり、翌日の本会議で否決に至った経過と理由は、採決に先立ち開かれた議会運営委員会での各委員の意見表明が参考になるはずだ。
https://www.youtube.com/watch?v=FsY1X3j7hWE

2018年8月3日金曜日

まだまだ人手が足らず、知られていない・・西日本豪雨災害ボランティア体験

 7月25日から26日にかけて、豪雨災害の被災地岡山県倉敷市真備地区に災害支援ボランティアに入らせていただいた。立憲民主党東京都連が企画、西澤圭太都議会議員がリーダーとなり主に都内の区議会議員と市議会議員が参加した。被災地での受け入れと現地でのコーディネートは立憲民主党岡山県連で、今回は鳥井良輔県会議員事務所を拠点に地元の高井崇志衆議院議員を中心に活動のご支援をいただいた。
 今回の豪雨災害で被災した方や地域の1日も早い復旧・復興をお祈りするとともに、犠牲になられた方には心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
 わずか1日だったが、多くの気づきを与えてくれた活動の記録である。
 新宿での集合前は、市の職員有志と赤十字奉仕団が行った災害義援金募金のお手伝いを武蔵小金井駅で。多くの皆様にご協力をいただき感謝申し上げます。
 建物前の街頭演説に参加したことはあるが、利用者としては初めてのバスタ新宿が集合場所。
 立憲民主党東京都連が企画した夜行日帰り弾丸ボランティアツアーで、行きは長距離夜行バスで21:30バスタ新宿発。
 人生初の3列シート、トイレ付き高速夜行バス。シートはかなり倒せるのでポジションを決めてしまえば結構快適でリラックスできるバス旅だった。
 休憩は足柄SAのみ。あとは乗務員交代のための運転停車のみで、途中津山駅、岡山駅を経由して終点の倉敷駅は翌朝8:15着。
 倉敷到着後は立憲民主党岡山県連災害対策本部となっている鳥井良輔県議の事務所で準備、高井崇志衆議院議員より状況の説明を受けたのち災害ボランティアセンターへ。

 ツアー参加者は西澤圭太都議をリーダーに都内の区議、市議など14人全員がボランティアセンター前で。作業前なので皆さん元気である。
まずは体育館に入る前にテープに名前を記入し名札にする。
体育館内の受付で住所氏名等を記入する。

 説明と注意を聞くこの場所には椅子が5列並べてある。この5人が活動班となり、最後まで一緒に活動することになる。リーダーと時計係(タイムキーパー)を決めておき、タイムキーパーは作業と休憩時間を管理して熱中症を予防する工夫だ。
 その後大型バスに乗り込み各サテライトに向かう。マスクやゴーグル、手袋等の不足があればここで支給を受けることもできる。ペットボトルの水のサービスもあり、まさに至れりつくせりの対応だった。

ボランティア受入れ体制が秀逸。小金井も学ぶべき

 倉敷市の災害ボランティアセンターは中国能力開発大学におかれ、校庭が駐車場として、体育館が受付と説明会場になっていた。この受付から説明、作業班わけして大型バスに分乗して3箇所あるボランティアサテライトへ向かう流れになっていた。受付から出発までの流れが非常にスムーズだったことが印象的、これは小金井でも参考にしたいところだ。
 行政も、災害ボランティア受け入れの当事者となる社会福祉協議会も、こうした現場を見ておく必要があるのではないかと強く思う。
箭田サテライトが置かれた市役所真備支所。保健福祉会館併設が併設されている。
浸水した施設から運び出された什器類。パッカー車に直接積み込まれ処理されるものもあった。





 大型バスで派遣された真備町の箭田(やた)サテライト。到着後すぐにリーダーに住宅地図とともに作業シートが渡され、ボランティア先が指示される。リーダーは作業の指示書を元に作業するお宅(の携帯電話)に直接電話し、現場の被害状況と作業内容を聞き取り、必要な道具と資材を一輪車に乗せ、それぞれ徒歩で現場に向かう形がとられていた。
支所前の道路に出された災害ゴミの撤去作業にあたる自衛隊と報道カメラ。自衛隊の作業が入るとこのように徹底的に片付けと清掃がおこなわれる。市内いたる所でこのような光景が見られた。 
 遠くに見えるのは井原鉄道の高架橋。決壊した小田川の堤防は高架橋のはるか先になる。溢水した泥水は高架橋の方向からこちら側に流れてきたことが稲の倒れ方を見るとわかる。
 この時は気づかなかったが、溢れた川の水は写真左手のお宅の2階のベランダ手すりを超える高さに達していたことがわかった。

 ボランティア先へ向かう街中の景色。ボランティア作業で発生した災害廃棄物や泥の入った土嚢袋が道路に出され、アスファルト道路は一面堆積した泥に覆われていた。

家屋の畳や家具など主だったものはこれまでの作業で片付けられておりこの日は庭の片付けと泥出しと清掃だった。特に畳は腐敗が早いため最初に運び出す必要があるとのことだった。

 災害ゴミは一輪車で近くの空き地に設けられた集積所へ。一輪車をよく見ると鎌倉市の社会福祉協議会のものだった。現在の報道でも災害ゴミの処理が問題になっているが、近所の公園もご覧の通り。まずはこのようにしないと個人宅の処理が進まない。こうして搬出された災害ゴミは通常は異なり全てが一般廃棄物として行政による処分が求められる。


2階の床にも粒子の細かい泥が。水は刻々とこの階段を登ってきたのだ。


溢れた川の水の水位が2階の壁に残っていた。床上約150センチほどだろうか。上下の写真を見ていただくと水は2階のベランダの手すりを超える高さだったことがわかると思う。救助隊はここからボートで侵入しサッシのガラスを破って救助をおこなったのだという。


水は2階ベランダの手すりを超えた

 作業はボランティアセンターの指導通りに熱中症予防のため20分作業、10分休憩のパターンで行った。支援先では80歳のご主人と奥様、休憩時間にはご用意いただいた冷たい飲み物をいただきながら豪雨による溢水の水位が上がっていく様子をつぶさにうかがうことができた。このお宅のご夫婦は、水位が上がり2階の床上まで迫ったため、押入れに避難、その後も水位が上がり続けたためさらに上の棚によじ登って救助を待ち、停電の暗闇の中でご主人が持つ懐中電灯の明かりに気づいた救助隊のボートによりベランダから救出されたとのお話だった。
 許可をいただき、お話を伺いながら室内を拝見し写真を撮らせていただいた。塗装屋の目で見ると建物はプレハブ住宅メーカーのもので外装もしっかりと手入れされていた。浴室は最新のバリアフリータイプに、キッチンセットも使い勝手の良いものに交換され、ご夫婦が大切に住まれている様子がだった。45年間愛着を持って暮らした思い出の詰まったお宅は、最終的には解体を検討せざるを得ないとのお話に胸が痛む。
 Kさん宅で作業させていただいた5人のうちの4人。こうした状況での写真撮影は気がひけるが、「構わない、記念に撮っておいてほしい」とのご主人のお言葉に甘えて撮らせていただいた。
被災地は多様な被害を被っている
 作業後は岡山県連のご好意により被災地の視察をさせていただいた。災害廃棄物の集積場のひとつとなった真備中学校。小田川堤防の決壊箇所、避難所となった岡田小学校、隣接する総社市にある爆発したアルミリサイクル工場などを見せていただいた。

 災害廃棄物の集積場となった真備中学校の校庭。鉄くずリサイクル業者のトラックなどもあり、当初よりだいぶ分別と搬出が進んでこの状態だという。
校舎は2階床上まで浸水とのこと。時計が止まった時間は午前なのか深夜なのか。
 高架沿いにも多くの災害ゴミが。これを自衛隊や行政が処理していくのだ。高架は井原(いばら)鉄道井原線。
遠くに決壊した堤防をのぞむ。一面の田んぼを泥が覆う状態。
 堤防復旧工事7月26日現在の様子。写真右手が大きく決壊している。堤防横の住宅も当然大きな被害を受けているが、その様子が気の毒でならず、この場で公開することは避けたい。

 ダンボールベッドとパーテイション、10台のスポットクーラーが整備されて以降、避難所の環境はだいぶ改善したとのこと。撮影許可をいただき避難者のプライバシーに配慮させていただき内部の様子を記録させていただいた。原則パーティションは日中は開放しておくルールだという。

ダンボール工業組合提供のベッド。高さが生まれ安眠度合いが格段に向上したという。小金井市でもこういった団体と事前に協定を結び、災害時の避難所環境の維持を図るべきだろう。


 HUG(避難所運営ゲーム)を体験する痛感するのが避難所における情報提供の大事さだ。そうした工夫の一端を見せていただいた。倉敷市には小金井市からも職員派遣が行なわれている。



 氾濫により爆発した総社市のアルミ工場周辺の様子。警察の検証が終わらず片付けが進まないということで、片付けも出来ず生活再建が遅れていることが気がかりだ。この地域も浸水したが水位上昇前の爆発で住民が避難したため人的被害は確認されていないとの話だった。
 工場からは100メートルはある場所まで吹き飛ばされたプラントのパイプが爆発の凄まじさを表している。

まだまだ被災地支援の人出は足らない

 被害を受けた地域の復興は少しづつ進められているが、住み慣れたまちの風景が変わってしまい、被災した方々の失われた日常を思うとその喪失感は小さくないだろうと感じた。被災した学校だけでなく避難所や災害廃棄物の集積場となった小・中学校、そして特別支援学校。現時点では仕方がないのかも知れないが、こうした学校も再開の見通しが立っていない。避難所を訪問させていただいた時に子どもたちへ様々な形での支援の提供が始まっていることがわかったので一安心だが、こうした支援も含めて被災地は倉敷に限らず、まだまだ足らない状況だ。マスコミで報道されていない被災地の人手不足はもっと顕著だろう。こうした被災地の情報の共有をさらに進める必要があるのではないだろうか。
 視察させていただいたのは避難所が開設された岡田小学校の校庭。ここは高台にあり浸水被害を免れた場所だ。 


 最後に。まきび支援学校のこと

 最後に被災した倉敷まきび支援学校の話題を記しておきたい。
 Facebookでシェアされた情報では、倉敷まきび支援学校は2階まで浸水したため、今年度中の復旧が難しく(!!)在籍する児童・生徒は2学期以降、他の支援学校への通学などの対応を検討する状況だという。

 2学期は特別支援学校の児童・生徒にとっても進路選定の大切な時期だけに、通学先の変更だけでなく担任の先生が変わってしまうことに不安を覚える児童・生徒や保護者の皆さんは少なくないはずだ。またおそらく児童・生徒自身が被災しているケースもあるのだと思う。首都圏と違い地方の特別支援学校は距離が離れた場所に点在するため通学の負担も小さくないはずだ。 しかし、こうした状況はあまり報道されず、知られていない。報道が報道を呼ぶためメディアが1箇所に集中し、未知の被災地が多くできてしまうのだと思うが、こうした児童・生徒のかけがえのない日常が豪雨災害で失われてしまっていることを決して忘れるべきでないことを最後にお伝えさせていただきたい。


作業後は 倉敷駅から岡山駅へ。途中は懐かしの国鉄型で。見るたび思うが国鉄型にこの車体色は似合うのか?
 新幹線乗換の前にせっかくだからとお土産の調達のために岡山駅から外へ。そして駅前の大通りを行く路面電車を眺めてみた。少しの時間でも旅気分を味わいたいと思うのは貧乏性だからか?
 行きは高速夜行バスで11時間。帰りはコレで3時間。当然だが移動の質がまるで違う(両方好きだけど)。ほとんど瞬間移動である。



生きづらさを救う居場所とは (発達障がい者当事者青年Rさんのお話を聴いて)

昨日の午前中は、公民館貫井北町分館で「コロナ禍を経験して考える 人と地域がつながる共生社会」講座でした。 7 月 23 日まで 6 回連続で様々な生きづらさを抱える当事者のお話しを聞く男女共同参画講座 の第 1 回目で、講師はこれまで 3 期にわたり小金井市地域自立支援協議会...