2017年7月12日水曜日

「親は半生、きょうだいは一生」・・京都きょうだい会講演会に参加して

7月2日に大阪で開催された「第2回障害児者のきょうだいセミナー」に行ってきた

 フェイスブックでずっと前から気になって仕方がなかった京都、神戸、伊丹など関西地区のきょうだい会主催のセミナー。前日深夜まで都議会議員選挙だったのだが思いきって参加してきた。
 「きらり」(小金井市児童発達支援センター)の開設が決まるはるか前、当時の就学前障がい児療育施設のピノキオ幼児園の民間委託を諮問した児童福祉審議会委員だった頃、障がい児支援を拡充するなら家族や兄弟の支援が必要ではと言ったのだが、この当時の担当は「障がいの早期発見・早期療育のために家族が障がいの認知と受容するための家族支援はともかく、兄弟の支援?」といった感じだったのだ。しかし当時でもおとなりの国分寺市では療育施設が企画して兄弟姉妹を集めて兄弟姉妹を主役にしたお楽しみイベントを行っていたのだが・・・。
 その後数年が経ち、ピノキオ幼児園を発展的解消し、児童発達支援センター建設のための事業詳細計画検討の市民意見交換会を重ねる中でもあまり議論にはならず、現在家族支援や兄弟支援は行われていない。
 今回の講演会の内容は、自分自身、障がいある次男の「きょうだい」である4歳年上の長男との関わりについて考える大変興味深い内容だった。

 ※きょうだい会では、障がいある兄弟姉妹を持つ人を「きょうだい」または「きょうだい児」と呼んでいる。親や周囲の人がきょうだいを気にかけることを含めた「きょうだい」に着目した支援についての講演会でした。

親ときょうだいは違う


 第1部は同志社大学社会学部福祉学科実習助手の松本理沙さんを講師に迎えた講演会で、松本さんご自身も知的障がいの弟がいる「きょうだい」だった。
 障がいがある兄弟姉妹を持つきょうだいと親の違いについて、親は恋愛、結婚、出産などの人生経験を経て障がいある我が子と出会うことになるが、きょうだいはある日突然自分の兄弟姉妹の障がいと出会う(または判明する)という大きな違いがある。そのためにもきょうだいが経験する様々なできごとについて考えていく必要を痛感する言葉である。

きょうだいは忍耐強く、優等生になろうとする

松本理沙さんのお話

・兄弟に対し親や周囲は「家族」と一括りにし、きょうだいに親と同じ役割を負わせようとしてしまう傾向がある。
・親の態度が自分と障がいある兄弟姉妹と異なる時は兄弟姉妹が怒りや嫉妬の対象になる。
・親に負担をかけまいときょうだい自身が我慢強く優等生になる場合がある。
・障がいがある兄弟姉妹がいるために進学や就職など、進路決定する際にもきょうだいには相当な葛藤がある。
・障がいに関心を持ち、特別支援教育や福祉、医療分野に進路希望する場合がある。
・きょうだいとしての体験から生じる肯定的側面もあるが、きょうだい自身が良かったと思うことと、周囲が「良いこともあったでしょう」ということとは全く意味が違う。きょうだい誰もが障がいがある兄弟姉妹を肯定できるわけではなく、また思わなかったとしてもきょうだいは何も悪くない。
・きょうだいに対し、親が正論(のようなこと)を言われると、きょうだいは自分の本音を言えずにしんどい気持ちを溜め込んでしまう。

親は半生、きょうだいは一生

 このようにきょうだい当事者のお話を聞くと、親や周囲の何気ない言葉や態度が、障がいがある兄弟姉妹のきょうだいに与える影響は、親が考えている以上に大きいことがわかってくる。障がい者の家族の一生を時間軸で捉えると、通常は親が先に亡くなるわけだから、障がいがある兄弟姉妹ときょうだいの関係は、きょうだいが寿命を全うするまで続くこと、これをしっかりと親が考えておくことが兄弟姉妹にとっても重要なことがわかる。
・・・男子二人兄弟で、次男に知的・てんかん障がいがある父親としてはすべてが胸に刺さる言葉である。

「親心の記録」は将来の家族への贈り物

 下の写真は配布された「親心の記録」である。障がいがある我が子に必要な支援を事細かに記録して親亡き後の将来の支援者に伝えるノートだ。主に行政書士、弁護士、税理士の団体「一般社団法人 日本相続知財センターグループ」から寄贈を受け配布しているもので、当日の参加者にも配布されたものだ。こうした備えも将来のきょうだいの負担を軽くするものとして活用を考えていくべきだろう。

きょうだいどうしが、その思いを吐露する場が必要

きょうだい会の作り方

 第2部はテーマ別のグループワーク。今回鈴木は「きょうだい会の作り方」の11人のグループに参加した。
 ファシリテーターは弟が知的障害者のUさん。他の参加者は東京2人(鈴木含む)、広島、岡山、東大阪、香川、立命館大学の中国出身の教授2名など、皆さんがきょうだい支援に興味を持ち遠方から参加していた。
 他のグループには遠く北海道や宮城からの参加者もいて、このテーマへの関心が高さが分かった。

Uさんのお話

 Uさんは京都きょうだい会の中心メンバー。弟さんが入所していた施設きょうだい会に関わり始めたのが1971年(昭和46年)とのこと。(全国きょうだい会の結成は1963年(昭和38年))当時のきょうだいは親や支援者、施設にとっての都合のいいボランティア。親は施設の「いいなり」できょうだいの立場は顧みられることはなく、活動も施設内で完結していた。1983年に育成会(手をつなぐ親の会)と合流して地域での活動が始まったが、会の運営の負担が大きく、会報の発行なども2名だけで行っていた時期があったが、いずれ手が空いて会の活動に戻ってくる人のために活動を続けてきた。最近になり松本さんとの縁もあり、またSNSの活用で若いきょうだいや他の地域との交流が広がってきた。イベントや企画型の活動とは別に、きょうだい支援にはきょうだいが思いを吐露する場が必要、とのお話が強く印象に残った。  参加者は障がい者の兄弟姉妹のきょうだいが6人、鈴木と同じく親が2名。小児がんのサバイバーで小児がんのきょうだい支援を研究する大学院生、といった立場だった。きょうだいの方は会を立ち上げようと考えている方、福祉職に就いている方が多く、第1部の話はまさに現実なのだ。


アフタートーク

 場所を変えての懇親会でも、やはり参加したきょうだいは福祉職についている方が多かった。また障がいがある兄弟姉妹をすでに亡くしている方が複数いらっしゃり、こうした方がきょうだい支援に関わり続けていることも大きな驚きだった。Uさんもその一人だったのだが、ここにきょうだい支援の奥深さがあるような気がする。
 兄弟姉妹の障がいがあることで実に様々な葛藤があったにもかかわらず、高齢(失礼)になっても、当時一緒に活動した仲間が仕事から離れて手が空いた時に戻ってくる場所をなくしてはいけないと思い続け、現在も若いきょうだい会の運営支援に楽しそうに関わっていることも印象的だった。

生涯発達を支援するきらりの使命を見つめ直すタイミングは

振り返って、きらりの業務はこのままでいいのか

 今年10月で開設4年を迎えるきらりの運営は、開設当初の業務委託から指定管理に変わった。相談支援事業の利用者増により、予約から相談までの時間がかかってしまっている現状や、放課後等デイサービスの待機者の問題、就学時の相談支援体制も申し訳ないが現状ではまだ十分とは言えず、小・中学校の通常学級で支援や配慮が必要な児童生徒が増えている現状などもあり、開設当初は想定外だった様々な新たな支援ニーズが明らかになっているように思うし、今回お話を伺ったきょうだい支援もその一つではないかと考えている。
 18歳までの子どもの発達支援を行う施設の使命として、こうしたニーズに今一度向き合い、現在の利用者評価をもとに業務を検証し、ニーズに即した事業の再構築の検討を始める時期がそろそろ近づいているのではないか、きょうだい支援の必要性ということ以外でも、そんなことを考えた今回の視察だった。

生きづらさを救う居場所とは (発達障がい者当事者青年Rさんのお話を聴いて)

昨日の午前中は、公民館貫井北町分館で「コロナ禍を経験して考える 人と地域がつながる共生社会」講座でした。 7 月 23 日まで 6 回連続で様々な生きづらさを抱える当事者のお話しを聞く男女共同参画講座 の第 1 回目で、講師はこれまで 3 期にわたり小金井市地域自立支援協議会...