2014年3月20日木曜日

サヨナラ、そしてよろしく。


 昭和51年に開園して以来多くの子どもたちを育んできたピノキオ幼児園の園舎移転の話を聞いたのは、次男が在園当時、都市計画道路の拡輻のため、園庭の大部分が道路になってしまうと聞いたのが最初でした。
 それから幾星霜、多くの人を巻き込みながら移転に向けた話し合いが始まりました。ピノキオの園舎は、障がい児療育施設という特殊なものです。保育園とともに、施設の使い方である基本構想を固めてから設計するのが本来の順序ですが、区画整理事業の進捗に合わせる必要から、園舎の基本構想の検討を後回しにして、設計を先行せざるをえませんでした。そして、実施設計終了後の平成23年11月から、施設が行う事業詳細計画の策定を目的に、障がい児保護者を含めたニーズ集約を目的にした意見交換会が始まったのでした。
 その後も様々なできごとがあり、新園舎が完成し、すべての業務が移転して数ヶ月、ついに旧園舎の解体が終わります。施設の立ち上げや運営、通園した障がい児保護者など様々な方々のたくさんの思いが詰まった施設は、ご覧のような更地になりました。
 ウチの次男がお世話になったピノキオ幼児園の旧園舎の姿は、けやき保育園とともに、絵となって近所の、あるスタジオからプレゼントしていただきました。長年お世話になった施設の姿を何とかして残したい、との保護者の願いを原動力に、みんなでお願いして実現した素晴らしい贈り物でした。どんな絵にしてもらえばいいだろう、と打ち合せする中で、最初に絵のスケッチを見せていただいた時、描かれた園舎の様子に感動して、思わず涙がこぼれたことを思い出します。

 ピノキオ幼児園は、定員15人から21人に拡充され、児童発達支援センター「きらり」の1部門である児童発達支援事業「ピノキオ」として、その名前も残ることになりました。児童発達支援センターきらりで行われる事業も、すべてが始めから完璧なわけはなく、いろいろな不具合が生じてしまうでしょう。今後は利用者が参加する運営協議会を活用するなかで、様々な課題を解消しつつ、すべての子どもの発達支援の核となる施設として、成長することを願います。

生きづらさを救う居場所とは (発達障がい者当事者青年Rさんのお話を聴いて)

昨日の午前中は、公民館貫井北町分館で「コロナ禍を経験して考える 人と地域がつながる共生社会」講座でした。 7 月 23 日まで 6 回連続で様々な生きづらさを抱える当事者のお話しを聞く男女共同参画講座 の第 1 回目で、講師はこれまで 3 期にわたり小金井市地域自立支援協議会...